エモこそすべて

きまぐれ書き付け

カオス*ラウンジ『3月の壁 ――さいのかわら』で、あの日から…を想像する。

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《3月の壁》 さいのかわら

2週間ぶり2度めのカオス*ラウンジ五反田アトリエへ。事前からSNSで展示作品を垣間見て、やはり実物を目の当たりにしたくなった。

TOKYO2021を見て以来、特に現代アートは見るから体感するものに変わったことも大きなきっかけでした。ここにはそのTOKYO2021での展示作家さんの作品がいくつもあるとあらば、やっぱり見たい。

今回は印象的ないくつかを自分の記憶用に書き連ねていきます。

 
chaosxlounge.com

2019年の3月、カオス*ラウンジは東日本大震災を記憶するための壁画《3月の壁》を、五反田アトリエ内に制作しました。
《3月の壁》は、年に1度、毎年3月に「ご開帳」するために、アトリエ内に「壁」として立っています。

今年もやってくる3月のために、《3月の壁》を公開します。
展覧会では、Houxo Que、弓指寛治、宮下サトシによる新作インスタレーション、関優花の新作パフォーマンス、宏美、藤城嘘の新作絵画なども合わせて展示することで、この1年の変化、現状を反映した新しい「3月の壁」をお披露目します。

 ご開帳に立ち会う

年に1度というご開帳に立ち会うのは今回が初めて。折しも前日に常磐線が9年ぶりの全線開通をしたタイミング。(いわき市中央部からは、大分北上した位置の20.8kmが再開通した)

mainichi.jp

参考までに、再開通したエリアと、今回「さいのかわら」と題されたエリアはこんな位置関係。そこそこ離れてるのですが、浪江のPJに関わっている方々が周囲にいるので、なんだか嬉しくもあった。

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賽の河原~常磐線再開通の位置関係

忘れられないように、東京でアーティストたちが創作している。再開通したエリアでは、人々が桃色の傘を掲げ笑顔で電車を迎えている。喜ばしい気持ちと、展示への期待ともに、ドアを開ける。

いきなり試された

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Houxo Queさんのディスプレイ作品

「っぉあ…!」って変な声が出る、ドア前床一面ディスプレイ。
事前にSNSで写真を見ていたにも関わらず、HouxoQueさんの作品に早速ビクッとする。

踏み歩かないと先へ進めない。床に敷き詰められたディスプレイ。踏みしだく度に「メリメリ、バリバリ」と音がする。氷のそれとは違う、重たい音。それでも明滅をしているので機能はしてるんですよね……。

普段、今も目の前でPCというディスプレイを見ているけれど、そのディスプレイそのものに見られながら、それを踏む。踏み絵を思い出す。

えらくかっこよく明滅しながら、踏む足を受け容れるディスプレイ。液晶が圧力でにじみ、足跡を残して消える。風化する記憶と重なるような思いでしゃがんで見つめるけれど、明滅が意味を明示的に話しかけることはない。

鑑賞者であるこちらが感じることが、今の全て。もどかしいけれど、このもどかしさを感じられることに、すごくエネルギーがあるように思う。

居並ぶ天狗の絵、木彫に刻まれる日記

※こちらは写真を撮りそびれ&ブレブレ……。Twitter「カオスラウンジ」で検索するとご覧いただけると思うので、併せてどうぞ。

ディスプレイを囲むように、空間の壁面には天狗の絵の数々。移築された古峯神社に祀られていた天狗が、アトリエを見ている。復興の流れで新たな場所へ移された神社はこれから新しい信仰の受容先になるけれど。元あった場所にも残る古くからの神様方の思いもきっと少しは留まっているんじゃないだろうか。

出張してここから新しい眼差しを向けているのもあるかもしれない。神様も自由なはず。

そして、この場への展示以前から掘られている関優香さんの木彫。輪切りの木に彫られた言葉は日記だと書かれていた分、彫られた文字を読み取ろうとする行動はには、少しの罪悪感が伴う。文字でも打ち込まれたテキストでもなく彫るという行為。

この日記は以降も彫られ続けていく。あの時終わった分岐ではない、別の分岐の日々が続いていく証でもある。

リアルタイムに今を映すトイレットペーパーの絵画

点々と掛けられた鮮やかなトイレットペーパーは藤城嘘さん の作品。このトイレットペーパー争奪戦が繰り広げられている今、ある種戦果になるものを支持体にする。世間の騒動を半ば憂い、笑い、ポップにも見える仕立てになっていてなんだか小気味よくてにくい。好きだー。

そして、3月の壁

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3月の壁

アトリエの壁面にそびえる今年の壁は、秋山佑太さん、新井健さん梅沢和木さん、藤城嘘さん、弓指寛治さん、和田唯奈さんによるもの。

轟々とした音や、騒乱の音が聞こえて来そうなうるさく混沌とした画面には、盆踊りもサーフィンも、波に飲まれる表情も、全てないまぜになっている。

明るい場所で見ている時には、その個々を眺めているうちに「ここまで昇華される時期に来ているのかも」と、半ば朗らかに、かつ悼む思いで見てました。

でもアトリエを閉めるタイミングに居合わせて、照明が落ちた瞬間、壁はその存在をより迫らせて立ち上がらせてきた。

帰りながら、あの壁を思い出すにつれて「ここに居る。あの日は続いている。」という思いでいっぱいになってきた。

忘れようもないけれど

あの日を、その後を、忘れられはしないけれど。それでも日々は移り変わりながら続いていく。日常がスピードを伴ってどんどん前進していく。

「忘れてはいけない」と声高に伝えるのも悪くはない。けれど、個々に必死に生きる今もあるからこそ、別の昇華もあったっていい。個人的にはそういう方向で、思いを馳せたいなぁ。

だからこそ、3月の壁は毎年現れるのかもしれない。

今に立ちながら、あの日と、それからの日々を思い出して。そこにまだ在るものに思いを馳せるためにも。

そうは言いつつ、明日がどんどんやってくる

いろんな作家さんの圧と熱と執念を浴びながら、しんみりするほどではなく。結局は面白いものを見た、得難い時間を過ごした嬉しさがある。

生き維持汚い性分としては、何やかんやヘタれながらも前進を続けてる。もう今日と明日の間に+数時間ないんか!と思うほど、いろんなものに追われる日々。

そんな日々の中で、外で深呼吸をするような体験が、私にとって現代アートを見に行く醍醐味になってもいる。

一鑑賞者としてできることは、こうして見たことを綴りながら、噛み締めること。自分のための記録といいながらも、誰かに届くことを期待して残してていくことぐらい。

2020年3月22日(日)まで。毎日13:00-20:00まで開催中です。

在廊中の作家さん方もいらっしゃるので、ぜひに。

余談:脱皮していくディスプレイ

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変化していたディスプレイと、それを踏む人

帰り際、入った時に踏んだディスプレイの表面がベロンとめくれて(中央右寄り)ディスプレイから離れてた。脱皮を終えたディスプレイは何になって羽化してるんだろう。

踏む足は左から、せきゆかさん→嘘さん→こまんべさん。

踏んで、後をにじませて消えて。ブレーカーとともに寝ていくようでした。

暗闇のアトリエも、何かがありそうで面白そうだ。