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きまぐれ書き付け

カオス*ラウンジ 新芸術校の最終選抜成果展を通して考えた、講評者の眼

新芸術校の成果展、駆け足で行ってきました。

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カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 最終選抜成果展「プレイルーム」&裏成果展「裏庭バロック

chaosxlounge.com

新芸術校の最終選抜選考展とは

新芸術校の成果展に関心を持ったのは黒瀬さんのTweetから。

制作の過程で、作家は作家自身を切り離さず(離せず)向かい合い続けるものだと捉えています。

それは自分が非常勤講師として授業を受け持っていた学生にも通ずるもので。グループでの議論やワークを通じて「個人」としての自分とも対峙していた様子を見ていました。

その対峙し続けた現時点での成果として発表される作品を、どう見て、どう感じるのかというのが鑑賞者としての視点。

じゃあそれを、どうやったら講評の眼まで持っていけるのか? そこがぼんやりしたままだったので、その緒になる体験を擬似的にできないかな、という目的でダッシュでGO。
※五反田着いたの展示終了時間の45分前……。

ちなみに新芸術校2019年度はこちらに詳しくあります。

school.genron.co.jp

講評者の観点:自分の授業を通じて

実践者(実践途上)が授業*やってて講評が一番悩ましかったものです。なぜなら説得力に足るバックボーンや経験値が少ないから。

そんなこと言ってたら、いつまでたっても「足りる」域にたどり着けないわけで。持ったもので勝負するしかない。幸い授業においてはボスや学部長のアドバイスをいただけるので、最大限活用させていただきました。ありがたい。

授業の最終講評で考えたチェックポイントは、こんなことでした。

・アイデアのコンセプトをグループで握れているか
・自分たちが見出した価値を言語化できているか
・その価値を伝えられるプロトタイプとプレゼンになっているか

講評時にはそこを見て、必ず問い掛けをしていました。

ビジネスに直結させることを考える件ではないので、学んだことを実践し続けられるよう、前を向かせることができるか?も大きく意識していました。

経験値が足りないだ何だと言いながら、学びとれたかどうかのポイントを押さえつつ講評に臨めてたんだなぁと、改めて認識し直す今。

講評の眼のひとつの解。

*授業では、ビジュアルリテラシーとして「コミュニケーションの中で描いて行くことを基本言語として武器にしていく」ことを教えてました。

講評者の観点:他者の教えと、その成果を通じて

じゃあもう他では鑑賞者でしかあり得ないのでは?と、一瞬答えが見えたかと思ったけれど。 多分違う。

自分の観点をどこに置いたか?で評することもあるはず。

それができるのかしら? と新芸術校の展示を見た今の結論としては、自分の観点をどこにどう置いたらいいか分からなかったです。無念。

授業や展示に至る経緯を知れば、また違うのかもしれない。今回は装備が弱いまま別フィールドに出たぐらい圧にやられて、酔って帰った始末。(展示鑑賞後にありがち)

自分の行動・思考としてはこういうことをしている、ということだけメモ。

・何が描かれているかをみる
・読み取ろうとする
ステートメントを読むタイミングを考える
・作家の思考の軌跡を探す
・材質や構造、構図を見る
・複数作品(連作?)の場合は経過を見る
ステートメントを読む

人によってはナンセンスに感じられるかもしれませんが。現代美術の場合、前情報が無いとこういう感じに彷徨ってます。

「何を受け取ればええんやー」&「何も受け取らなくてもいいのよー」

「作品から圧すごい」「熱量ぅ……」「加速度が」みたいな感じで、アタマをブンブン揺すられた感覚。

色んなバックボーンの人たちが、今の時点で向き合いきった発露なので濃いだろうとは思っていたけれど。経緯・経過を知らずに評することの複雑さも垣間見えた気がしました。いや、でも品評会みたいなことって作品だけでやるよねぇ……。

講評の眼として、何を問えばいいんだろう? というのが現時点での結論です。これからも問いの種を探そう。

ステートメントの功罪

別線ですが、展示のステートメントが好物です。ただし、これをもって理解&作品の完成というのでもないよなぁと。作品自体を以て完結し、そこに俯瞰して添えられた作家の表明であって欲しい。ただこれも右往左往する話で。

ステートメント無いことで受容が広がる場合もあるし、あることで理解が深まり、もう一度作品を味わう機会にもなるので悩ましい。

今回の展示は総じてステートメントが長文化していたので、やや冗長に感じてしまったというのも否めず。でも、そこに至るのも共感という意味で分からなくもない。

 

浅いなぁ浅いなぁと思いながら、こんなことを連ねる今です。

色々考えるうちに、アートもデザインも柵の向こうに見えてきた。こんなにそばにあるのにな。近くて遠いからこそ、物理で近付きに行くんです。

浅さは行動でカバーします。きっと語り合いたい人たちもいるはず。