エモこそすべて

きまぐれ書き付け

VERTIGO 森山未來×KAITO SAKUMA a.k.a BATIC×岩本幸一郎 @VACANT

観てきました。これは模索ということもあって、実験やプロトタイプの更に手前なのかな。

Installation&Performance:
VERTIGO めまい
情報化社会において「個人を取り戻すこと」にまつわる模索
森山未來×KAITO SAKUMA a.k.a BATIC×岩本幸一郎

www.vacant.vc

自分だけを愛し続け、そこから脱却することなく身を滅ぼしたギリシャ神話における少年、ナルキッソス。もし彼が、水面に映る“像”は単なる自分の顔に過ぎないと気づいたとしたら、自分自身を愛し続けたまま生きながらえることができたのだろうか?

ナルキッソスの物語を参加者も倣っていく

VERTIGO ナルキッソスの自己投影

VERTIGO ナルキッソスの自己投影

今回のテーマになっているナルキッソスの物語。このインスタレーション&パフォーマンスを通じて、会場内を自由に回ることで、私たちもいち「ナルキッソス風」な参加者として体験ができる。

水盤や、そこに沈む貝。吊られた写真(森山未來さん扮するナルキッソス)、会場を分断する巨大な透明アクリル板、置かれた本、明滅する一文。

それらを捉えながら、自己投影を感じたり見たりしながら、ぐるぐると会場をさまよう。

アクリル板から伝わる、音の触感のインスタレーション

吊られたアクリル板

吊られたアクリル板

会場を分断するように吊られた大判のアクリル版。これは今回のナルキッソスの物語に寓せた「水鏡の像」を観客に体験させる仕掛けなのかと思ったら、実は会場内にひろがるサウンドはここから発生していた。

アクリル板の面を鳴らしている。上部にスピーカー? が付いている

アクリル板の面を鳴らしている。上部にスピーカー? が付いている

ただ、会場のサウンドとは別に骨伝導で聞こえる音があって、耳を直にアクリル板にくっつけることで、きれいなノイズや会場音に混ざり合うような別のサウンドが聞こえてくる。意外と音量も大きい。

耳をつけた時のサウンドは、ひんやりしたアクリルと併せてなぜかとても気持ちがよかった。もっと耳をくっつけていたかった。人にくっついて心音を聴くのと似た心地よさ。

一歩ごとに緊張感が増すPerformance

2Fにある会場へ森山未來さんが階段を登ってくる音から、徐々に会場の緊張が高まる。

一歩が鳴らす靴音の硬さ。張りのある声。会場で更にエコーする声は、意味を知ると切ない。水盤に顔を沈め、自分にどんどん酔うナルキッソスが深くなっていく。

「ナルシシズム (自己陶酔、自己愛) 」の語源であるギリシャ神話の美青年「ナルキッソス」と、そのナル キッソスに思いを寄せる妖精の「エーコー」。彼女は肉体を失い、他者の声を繰り返すこと (エコー) のみを許された声だけの存在。ある日、ナルキッソスは水鏡に映る自分の姿に恋をし、自分だと気付かぬまま愛の言葉をかけ続け、その言葉はエーコーによってあたかも水面に映る彼自身が返答しているかのように虚しく響き渡ります。そんな問答の末、ナルキッソスはその場から離れられなくなり、満たされない思いにやつれ果てて身を滅ぼしてしまいます。

一歩大きく踏み出した後からは、森山さんのパフォーマーとしての真価が発揮され、真横に脚を踏み広げながら重心を落としていくその一連の身体の動きだけで「得難い……ありがとうございます……。」ってなるぐらい、身体のエネルギーが会場に満ちてる。

動きの都合上、ほぼゼロ距離みたいなところにいらした時は思わずそっと一歩引きつつ「邪魔になる!」と息を止めたぐらい。

エコーに自分を問われるほどに、ナルキッソスの自我が崩されていくようなパフォーマンス。

随分前にメタルマクベスの舞台で観て以来だったので、研ぎ澄まされた身体性にただ圧倒される時間。

VERTIGOとナルキッソスの水鏡

終演後、会場は明るくなった

終演後、会場は明るくなった

空間に漂う音の中、アクリル板に映る自分に惹かれながら、じたっと耳を付け、身体で音を感じる様。何かこう、感受性が振り切れそうで、ちょっと遠ざかりたくなるほど。

色っぽいとかセクシーとかそういう部類なのかもしれないけど、妖艶というのでもない、なんかもっと健康的だけど淫靡なやつ。語彙よ!

語るのも無粋な気がしてきた。

身体を研ぎ澄ませること

基本となる身体づくりや、身体の使い方を、コンテンポラリーダンスの中でこれでもかと研いだ人の一人芝居。存在感に圧倒されるだけではなく、空気をも変えていく、混ぜて問いかけすらしてくるようで、まだ咀嚼しきれない。

ただ一つ再確認になったのは、身体性をもう少し高めたいんだってことでした。

前回のブログでも同じこと言ってるけど、時期や季節関係なかったな。ダンサーになりたいわけでは無いんだけど、いつでもバランスが取れている、軸のある中空の身体が欲しい。それはファシリテーターとして場に関わる時に、全体を受け容れてホールドする力になるし、その感覚を研ぐことにもなるからだと感じてます。

友達に勧められたコンタクトインプロビゼーション、一度行ってみようかな。

得難い機会をくれて、連れ出してくれて、ありがとう

得難い機会をくれて、連れ出してくれて、ありがとう