エモこそすべて

きまぐれ書き付け

NHKバレエの饗宴で観た「bolero/忘れろ」が忘れられない。

ダンスは言葉が無いわけじゃない。セリフがあってもいい。ダンスをしながら喋っていてもいい、語っても良いんだなぁ。

あっ、だから「談ス」なのか!! と、帰宅して何時間も経ってからやっと気付いた。

「NHKバレエの饗宴2019」みどころを徹底紹介~日本のバレエの“いま”を味わい尽くそう! | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

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C/Ompany(大植真太郎、辻本知彦)『bolero/忘れろ』(構成:大植真太郎、音楽:ラヴェル 振付・出演:大植真太郎、辻本知彦)

バレエのボレロといえば、ベジャール振り付け。許可をしたダンサーにしか踊ることが出来ないものがTHE本家で、唯一無二かと思ってました。それぐらい踊ることへの制約があるものだと。(あの振り付けの印象が強すぎる)

※あの振り付け ↓

www.youtube.com ※ギエム版を貼りたいがそうもいかず、公式的なところで上がっているものを……。

これはその王道を見据えながら刷新していくような試みで、クラシックバレエと同じ公演で観られるなんて、筋金入りではない身としてはありがたいイベントです。

さて。初めて観た大植真太郎さん・辻本知彦さんの試みにまっさきに笑いが出てしまった。シルク・ドゥ・ソレイユのクラウンのように、幕前から舞台上にお二人+もうお一人がいて、舞台装飾の設営をしながら会話がなされている。「まだ本番始まってないですからね、拍手しなくてもいいんですよー」などと言いながら、衣装を着るところまで魅せながら楽しませてくれる。(手を使わずにパンツを履くアレが会場のあちこちにいるお子様方に大ウケ)

ボレロボレロ

ボレロは恙無く始まった。一定のリズムで進行するおなじみのメロディとは対象的に、舞台上の男性二人はああでもない、こうでもないともぞもぞ話すように、身体を大きく交わして、打ち鳴らしている。組体操のようでもあり、ブレイクダンスの要素もあり。

「よい……っしょー!」「はっ」「なんで!」と、今振り付けを考えているの?即興でやってるの? と思うような動きと会話。全て振り付けとして考えられているものだということを知っていたとしても、可笑しくなる。

やんややんやと、2人の男が互いに乗っかり、場所を奪い合い、引っ張り合い、をしている中にも、たまにするっと混ざってくるベジャール振り付けの欠片。

当たり前だけど、ベースを理解して解釈した上で生み出されていることなんだよなぁ……。

圧倒的な身体能力に裏付けられた演目には、振り付けを通した新解釈と、自分たちの試みである「談ス」の面白さがたっぷり。形がないものへの楽しみ方を広く教えてくれる今回の公演に、大きく拍手を贈りました。

フレームから逃れられないもどかしさ

改めて舞踏、ダンスの面白さに気付いたものの。ダンスには身体表現だけじゃなく感情表現もあるのに、なぜか言葉は無いと思いこんでたことを、ちょっと残念に思ってる。散々リフレーミングだと聞いたり言ってる割にこれかー。長く染み付いたものにこそ、このフレームの中にはまり込んでいることを思い出さないことには、なかなか逃れられない。この業のようなものから、とっとと卒業をしたいものです。

「セレナーデ」についても

他の演目がクラシックバレエアブストラクトバレエという中に、このお二人のコンテンポラリーダンス。圧倒的に異質でありながら、親しみやすさを持った演目があったおかげで、対比まで楽しめたのも面白いポイントでした。

で、そのアブストラクト。バランシン振り付けのセレナーデは、音楽にうっすらとしたストーリーが載ったようにみえるけれど、wikipediaによるとこういうことだそうで。

なんだか美しい教材のよう。

筋のない作品ではあるが、男女間の微妙な感情の流れや終盤に1人の女性が男性たちに高々とリフトされて舞台袖に消えてゆくシーン(バランシンはこれを「天使のエピソード」と呼んだ)など、観客にいくつかの物語を暗示する[9][15][20]。ただし、この作品の本質は、暗示される物語やエピソードを観客に示唆することではなく、最初は未熟なダンサーたちがバレエの技術を習得していきながら洗練され、変貌を遂げる過程を見せることにある[15]。月明かりのような照明や、バランシンがその作品中で多用する照明を当てただけで背景画などのないバックドロップ[21]や、簡素な衣装などが醸し出すロマンチックで清廉な雰囲気が好まれ、バランシン・バレエの代表作として評価を受けている[8][17][22]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%87_(%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8)

未熟で不揃いなところから始まり、何度もなぞっていく間に美しいカタチを成す。
守破離の「守」のひとつの美しい方法だなぁ。

Youtubeでセレナーデを探すと、青背景・青衣装だったことにも納得。そこに意味を持たせずに成長を追えるんだ。

www.youtube.com

春になると感じる身体性への焦りのような感情

ここ数年、春になると身体表現や身体性の再確認をしたくなる、どちらかというともう一度これを取り戻さないと!という焦りに近い感情が出てくる。なんでだろうなー。様々なものが新しく始まる雰囲気に、ちょっとソワソワとする時期だから? 何か手応えがあるもので軸足や足元を感じたくなるのかもしれない。

身体性については、一度インプロのワークショップに参加して以来、飽き性の自分には珍しく、ずっと消えずに残る関心がある。実際に仕事の中で試したりもしているし、大駱駝艦のメンバーのワークショップに行って、身体を身体のままに操ることに触れられたりもした。

これからも、意思や意図と切り離したり繋げたり、実験できるように身体性に触れ続けていきたいという春の宣言です。

そこに言葉があってもいいし、描くことも、きっとあり。